Q:『Kodomo Rengou』の中で、ギター、ベース、ドラム、キーボード以外に使用している楽器はありますか?
「動物になりたい」では、バイオリン、「かみさま」では笙のような音がするのですが合っていますか?
全てメンバーの演奏でしょうか?
A:今のところ、ピープルの暗黙のルールとして、3人が演奏する以外の音は入っていません。
まれにサンプル音源(シンセ)を弾いて薄く補強する場合もありますが、弦や管のように聴こえる音は全てギターです。
「かみさま」の笙のように聴こえるのはおそらくオルガンですね。
レコーディングでは本来の使い方でなはい楽器の音を録ったりすることはしょっちゅうあります。
Q:アルバムの曲で波多野さんと福井さんプロデュースのものがあればそれぞれどの曲か教えてください。
A:アルバムのクレジットにも表記をしていないことからわかるとおり、僕らの作品にはプロデュースという概念は実はないのです。
ただ、曲の発端という意味合いであれば、「世界陸上」のメインのピアノのリフとリズムパターンは福井が持ってきたものです。
『Things Discovered』のメンバーディレクションの福井曲で彼が断片を持ってきたものが基になっており、
そのときは完成に至らず一度ボツになったものを、今回は3人で作り直すことによって復活させたという経緯です。
レコーディングのときに僕と山口でリズムパターンをあらためて解析している際、
コントロールルームのソファーでふんぞりかえり、ただ黙ってこちらをみている福井を発見したときには、
とんでもないサディストだと、身の毛がよだつ思いでした。
Q:Kodomo Rengou を聴いていると、所々に、既存の曲を思い起こすような音やフレーズがあるように感じるのですが、
これは意図的なものでしょうか?
A:全く意図していません(笑)。
さすがに曲も増えてきて、傾向というのは出てきてしまうのかもしれませんね。
自覚なしです。僕にとって音階やコードやビートというのは身体の延長のようなイメージでもあので、
癖のようなフレーズは確かにあるかもしれません。
バイオリズムのようなものもあって、音程やスピードなんかは自分たちにとって心地よいところが確実にあります。
ピープルは基本的に速い曲は自然と演奏しなくなりましたしね。
ただ、フレーズは別として曲単位で似ているというのはほとんどないのでは、と自負しています。
似ていても良いのですが、僕らのやりがいとして、
これまでにあるものはなるべく避けようとすることが新しい形式を生み出すこともあるからです。
Q:1曲目、報いの一日の冒頭、アカペラからイントロへの移行に際して拍がズレていることと、
アルバムのラスト、ぼくは正気のピアノアウトロがズレていることに、意図があれば教えてください。
最初のズレが、最後のズレで元に戻る、ということなのでしょうか。
A:面白い指摘ですね。
でも、実は意図があるわけではなくて、単純に聴感上で気持ちのいいところにはめているだけなんです(笑)。
気持ちがいいというのは、曲想というよりも、切断として絶妙なタイミングということですね。
あれが逆にピタリと合っていると、しっくりこないと思います。どうしてだかはわかりませんが。
Q:「報いの1日」のギターの音はどうやって鳴らしてるんですか?
A:リヴァーブとファズとコンプレッサーをかけています。フィルターは使っていません。
あの音は弾き方が肝なので、再現するのすごく難しいです。
音を作った僕でさえ、本番レコーディングで録った音がどうもしっくりこなくて、
結局プリプロで録った音をそのまま使っています。
あの音、とても気に入っています。
Q:『Wall, Window』からギターをテレキャスに変更し、チューニングも変更したと思うんですけど理由はなんですか?
A:実をいうと、僕は2007年の『Rabbit Hole』よりもっと以前になりますが、もともとテレキャスターがメイン機でした。
ジャガーを使いだした頃というのは、6弦Gから始まる1音半上げチューニングをはじめ自分だけのサウンドを確立させたいという、
ギタリストとしての野心がありました。
ただ、『Ghost Apple』で自分のなかで満足いくエレキギターの音像にある程度到達してしまい、
そこから先はギターだけの独立した執着がなくなったんですよね。
『Ave Materia』ではもっと変わったチューニング(DADGADの1音半上げやDGDGDG)を試したりもしたのですが、
鍵盤も併用するようになってきて、音源においてギターだけが音像を担うわけではなくなると、
自然とかつての弾きなれたテレキャスター/レギュラーチューニングへと回帰していきました。
Q:波多野さんのギターソロにはリフに近い構築されたものとアドリブのように聴こえるものがあると感じています。
たとえば「夜戦」の朗読前のソロなどは何度も弾いたなかから理想に近いものが採用されている形なのでしょうか?
A:両方あります。
夜戦に関していうと、レコーディングで2テイクとって決められなければ構築しようと思っていましたが、
2テイク目で今のソロが録れました。気に入っています。
『Calm Society』の「数秒前の果物」なんかも同じですね。
ちなみに「町A」のオルガンソロはワンテイクです(笑)。
「泥棒」はラインは作ってあります。
ピープルではギターソロらしいソロというのはこれまで曲の中で入る余地がなかったのですが、
最近は自然と増えてきたのが自分でも不思議です。
反面、シーケンスフレーズやダビングなんかではアドリブで入れることは多いです。
経験上、真面目にフレーズとして当てにいくよりも、テイストとして当てにいったほうが確実に曲が活きます。
Q:本能的な快楽で曲を作っていくというお話をよくインタビュー記事で読ませていただいてるのですが、
設計図なしで作って収拾がつかなくなったり迷子になってしまうことはありませんか?
A:本能に忠実に作業をしているときほど、実は迷子になることはないと思っています。
どこで作業を終わらせるか、という線引きはコツがいる気もしますが、
作業する余地がなくなるくらいに気のすむまでやる、というくらいの執念が作品を強いものにすると思っています。
それこそ、『Kodomo Rengou』では特にそういうことができたのかもしれません。
反面、作業をしていて迷子になってしまっているときというのは、案外、論理が勝ってしまっているときのような気がします。
それから、頭のなかではいちおう設計図も描いててはいるんですよね。
ただ、そこも本能にしたがっているんで、その都度消しては描き、消しては描きします。
場合によっては改変が速すぎるので、設計図と呼ぶのは無理があるかもしれませんけどね(笑)。
Q:「激歪」(2017年9月ワンマン公演)に参加した時に、
「『Kodomo Rengou』の発売をもっと遅らせたい、もっと時間を置きたい」
というようなことを波多野さんはおっしゃっていましたが、その意図をお伺いしたいです。よろしくお願いします。
A:僕は作り手として『量産しない』ということを密かに決めています。
人間の感じ方、考え方の変化はとても緩やかなもので、それを余すことなく作品単位で反映させるためには、
待つという時間を設けることが大事だと思っています。
バンド単位でそれを行う、実はそれが今回のフルアルバムのタイミングを渋ったいちばんの理由です。
また、そういった時間の洗礼を受けた奥行き豊かな作品はそうやすやすと消費されることはないと思っています。
そういったサイクルを、音楽家自身がコントロールしていかないとまずいな、という気持ちもあります。
まあでも、『激歪』のときにはすでに『Kodomo Rengou』の録音は済んでいましたけどね(笑)。
Q:楽曲はレコーディングで完結するものではないと思いますけども
今までの曲でレコーディングで特に満足のいく曲が出来た時はありますか?
A:シングル『Calm Society』収録の「海はセメント」は、個人的な感覚ではありますが、
ミックスの音像込みでほとんど完璧だと思っています。そういう感覚になることって、滅多にないです。
ちなみに、録音するときは、そこで絶対に完成させるという気持ちで作るので、改めていざ演奏するとなると、すごく腰が重いです(笑)。
そこから先はまた別の完成に向かうという感覚です。
Q:福井さんと山口さんの演奏のどんなところに魅力を感じますか?
A:それぞれが追求を重ねた、誰にも真似できない音色、グルーヴを出しているところです。
また、絶えずプレイヤーとして変化しているので、演奏や曲作りをしていて未だに興奮しますし、
それはメンバーとしてとてもしあわせなことだと思っています。
Q:作詞、作曲中で作業が煮詰まってしまった時に、
波多野さんがモチベーションを落とさずに大事に心掛けてることなどあれば教えて頂きたく思います。
宜しくお願い致します~
A:モチベーションが落ちている状態のときは、作業をすることはないですね。
そういう時に作業をしないという選択肢は自然ではないでしょうか。
そもそも、作曲は自分が生きているなかでいちばん好きな行為なので、モチベーションでは測れないです。
やめろ、と言われてもやると思います(笑)。
Q:歌詞を書く時に、その前後で触れた本や音楽や出来事にインスピレーションを受ける人も多いと思いますが、
『Kodomo Rengou』の曲の歌詞を書く際に影響を受けたものやことはありますか?
A:もっと若い頃には、ことさら外からの影響を受けないように気をつけていましたが、
今はもう制作中に他のものからの影響がわかりやすく現れることって自然と無くなりました。
もちろん、影響を受けること自体がが悪いことでは決してないし、僕も実際には様々な影響の集積で成り立っていますが、
短期的な、自覚できてしまうような影響は、後々の自分の音楽的な血肉になることがほとんどないので、意識して避けるようにしています。
『Kodomo Rengou』の歌詞にしても、メンバーと作った曲に対して、
なるだけ視野の中で自己培養された言葉をぶつけたいと思って作りました。
日常的に感じたり考えたりしていることが現れたとしても、結果的に現れている、という状態であってほしいです。
Q:今作には(時計回りの人々や、あの頃でも見られた) 狂気/正気の基準やその認識を問うような歌詞が見られます。
それは波多野さんの現代社会観を反映してのことでしょうか。
現代を如何なる時代だと捉えていますか?
また今作には視覚に関する語彙が頻出しますが、それは関係ありますか?
A:質問の「狂気/正気の基準~」に関しては、昔から正義や常識とされていること、
多数派に対しての疑いというのは常に抱えて生きている僕の個人的な視点は現れているとは思います。
けれど、それに対しての回答を提示したいという思いはありません。
メッセージとならないように、けれどできるだけ具体的に描く、というのがここ数年、目指しているところです。
『Weather Report』というアルバムを経たことで、
主観的な感覚に拠らない表現も成り立つことがわかったというのもあって、そこからは未だ模索中です。
Q:感じ方が1つに決まらないよう歌を作っているということですが、
最近は視点が客観的だという印象があります。主観を歌にするのは難しいですか。
A:主観を歌にするというのは、むしろどちらかというと簡単だと思います。
どう頑張っても自己は投影されてしまうからです。
むしろ、音楽の干渉によって主観に奥行きが出て、
自分からは出てこないような視点が言葉で浮き上がってくることに、歌詞という表現特有の魅力を感じます。
また、以前はいくつものとらえ方ができることは良いと、深く考えもせずになんとなく思っていたのですが、
幾つもの解釈を許してしまう歌詞を、ここ数年は作り手としてつまらなく感じるようになってきました。
もちろん、色彩感覚なんかと同じで、歌を聴いた人が一様に同じような認識をするということはありえないことだと思います。
けれども与える印象がどのようなものであるかを目指すかということは、
作り手としての技量として追求したいところでもあり、やりがいのあるとことだと思っています。
僕としては客観的というのはそもそも無理なので、そこはわかりませんが、
『Kodomo Rengou』では文字どおりの感情表現を言葉に託すことは無意識的に避けたかもしれません。
Q:町Aの巨大なショッピングモールから始まる言葉の羅列が面白いと思ったのですが、
これも曲の流れから考え抜いた言葉でしょうか?
それともすらすら出てきてそのまま並べた言葉でしょうか?
A:これはかなり厳選して選び抜きました(笑)。
語感や、並び、字面もあるので、時間はかかりましたが、作ってて楽しかったです。
「うどん屋、書店」や「中古車センター」は自分でもかなりの手応えでしたね。
Q:波多野さんにとって神様とはどういった存在でしょうか。
ピープルの歌詞にはよく神が使われいるように思います。
今までの神は曲中の語り手と間接的で、架空の存在、実態のなさを感じていたのですが、
今回の「かみさま」では少し人間味を帯びているように感じます。
A:確かに僕の歌詞には頻出する言葉ですよね。
曲によってかなり違う意味合いで使っていることが多い気がします。
僕は特定の信仰はないので、かなり広義で使っていますね。
「かみさま」という曲でいうかみさまというのは、善悪という概念を取り払ったうえで、僕にとってはとても疑わしいものです。
疑わしい、ということが果たしてよいことか、わるいことか、僕にはどちらとも判別できません。
Q: Kodomo Rengouに関わらずの質問となるのですが、
波多野さんが書いた詞の意味や解釈について、福井さんや山口さんと話すことはありますか?
A:山口くんはときどき感想をくれます。とてもうれしいですね。
ただ意味や解釈という概念はどこか不粋だと、作り手の僕と同じでメンバー二人も感じているような気がします。
Q:アーティストとして、CDショップに対する願いや思いはありますでしょうか?
A:僕はファイルで音楽を買ったりもしますが、なんといってもレコ屋で音楽を買うのがいちばん好きです。
なんというか、質量を実際に手に感じるって、すごく素敵なことだと思います。
店によって規模や範囲は違えど、仮定された全体から選んでる感覚もいいですよね。
旅行に例えるならば、地球儀を眺めながら行き先を選ぶような楽しさです。
Q:peopleの歌詞カードはいつもシンプルで良いのですが、
波多野さんがデジタル配信ではなくCDとして出す意味はなんですか?
会場限定CDなど出していて前から気になっていました。
何か特別な思いがあれば聴きたいです。
A:Apple Musicなどサブスクリプションをはじめとするデジタル配信もやっていますし、
より気軽に聴いてもらえるようになったという恩恵を受けてもいます。
ただ、僕個人はCDという形態にはとても思い入れがあります。
人の手から手に渡る感触、モノへの愛着や、所有という錯覚が単純に好きなんです。
プレゼントとして魅力的になり得るようなモノを売りたいんです。
物質と人のあいだに存在する快楽を見逃すことは、人生を損しているようなものだと思います。
Q:難解(そう)な楽曲を極上のポップミュージックにするという点で
RUSHを連想するのですが、RUSHは好きですか?
A:Rushは大好きです。特に『Power Windows』以降は好きですね。
聴いてて元気が出るし、ワクワクしますよね。
Rushの「Big Money」という曲にソックリの曲を十代の頃に作ったことがありました(笑)。
自分では全く気づいていなかったのですが・・・。
Q:波多野さんは中学校時代に学校に行かなくなったと聞きましたが、
学校に行かなくなったことに対してご家族はどのような反応でしたか?
波多野さんはご家族と仲は良いですか?
A:僕が学校に行かなくなると、家庭内は世界が終わるかのような、混乱状態でした(笑)。
本人的には、自分で自分の人生を決定しただけ、という感覚でしたね。
基本的には本人に死の危険がなければ、なんでもやってみるべきと思っている人間です。
Q:I hope to listen to an English song from People In The Box someday!
Is there a possibility? (〃∇〃o)
A:sorry… my English is not good….